要するに俺が10年間かけてやってきたのは、壮大な現実逃避だった

“現実逃避したい”、“全部投げ出したい”、“学校サボりたい”、みんななんでそうおもうのにやらないのか、そう思って全力で現実から逃げた俺だった

 

そこで得たものは?

孤立と言葉だけだ

 

生きるだけで少しずつ積み重なる、オブラートみたいな信頼を垢だらけの手で薙ぎ払って何かを成し遂げた顔をした、得たものは孤立と空を掴む言葉だけだ

凡ゆる感情は意味を失い、これまでの人生はただの記憶、フラッシュと言葉のシークエンスに成り果てた

とりまく世界は頭の中の世界の影絵になって豊かさも輝きも、醜さも等しく消えた、あるのはあまりにも不安定な内面的なゆらぎのみ、全てのゆらぎは次のゆらぎのためにのみ存在し、閉じられた池の中で反射する、反射したゆらぎは次のゆらぎを打ち消し、ゆらぎを観察する機能だけしか持たなくなった自我は外から投擲される石を待つことしかできない、分厚い磨りガラスの向こうにゆらめく影が、輪郭を失った空気の振動が、淀んだ水面を小さな波になって渡る、大きく汚れることも無い池が、閉ざされている限り少しずつ白く淀んで視界の悪くなることを運命つけられた、池の中で、終わることも、流れることも、流されることもゆるされないその池の中で、俺は漸く手をかける、自らの無能さも、思うように動かない手足も、独りでに動く世界も、俺は全部受け止めなければならない

一度背を向けた世界が、もう一度ただいまの声を受け入れてくれるかどうかしらん、ただ俺はここにいるしかなく、背を向けて目をつむっても、"かわらずにここにいた"。

無能さを悔いた俺は、無能さを恥じた俺は、何一つ、何一つ成長することを拒んだ、生きられると思ったその世界は、いかにも現実に替わりうる代物に見えた、

そこで俺は常に自己効力感を感じ、何事もバーチャリティを感じられた

そう、それは字義通りの"virtual-world"

現実とは全く異なるでぃめん