無題_ある青年の告白
久しぶりにはてなに自分が吐き出した長文を一瞥して、率直にこわくなった。
いや、怖いよ
明らかに世界を恨んでる人の文章だもの
ずっと正気でいるつもりだったのに、めちゃくちゃなこと書いてる
書いてある内容がむちゃくちゃというより、内容それ自体は本当に大したこと日記の端に書くみたいななんとなくの殴り書きなんだけど、なんか書きぶりが異常だもの
ひっぱくしてるとか、疲れてるとか正常な人が書いたイレギュラーな文章とは明らかに質的に異なる文章だもの
オカルトマニアとか新興宗教の狂信者とかが書きそうな文章だもの(どっちにもあったことないからほんとうのことはわからん)
とにかく怖いもの
何やかの呪いみたいな効力がありそうだもの
イレギュラーとかじゃないもの、感性が歪んじゃってる感じがするもの
ナイーブな精神に劇薬ぶち込んで、マッドサイエンティスト誕生だもの、完全に怖いもの
直面してる状況自体はやっぱり大したことないもの(いや得てして簡単な状況ではないけどふつうの人に乗り越えられない種類の状況ではないもの)
あー、怖い怖い
近況
昨日ようやくiPadのキーボードを入手したのでiPadからエントリをかく
今日は夕方の4時に起床して、家事の手伝いをした以外はずっと動画を鑑賞していた。
深夜にネットで知り合った人と電話で会話するのが最近の唯一の楽しみで、我ながら異常な状態にあることを重ねて思い知らされる。引きこもりになった人間のうちで自分はずいぶん恵まれた方だと思っっていたが最近少しずつ認識を改めてきている。とかく自分のパーソナリティについての話になるが、自分の人生について感傷的に反省することが多い。これは親父の昔から持っている悪癖だが、自分の欠点をまっすぐに認めようとせず、歪んだ形で現実を認識してしまい、結果として自分の人格そのものにその揺り戻しが来てしまっている。
俺は昔から自分の家族がコンプレックスだった。友人達や世間一般のコミュニケーションのコードとうちの家族ないコミュニケーションのコードがあまりに違うからだった。あまりに距離が近い、もしくは自分と他人の境界線が曖昧なこと、現実よりも認識を現実と考えて考えが歪んでしまっていること、自分の欲求、欲望を満たすことがあまりにも稀であること、気色悪いくらいナイーブなこと、“教育”ということについて本当に全く統一した認識を持っていない事、妥当な考察を加えた上で距離を置くのが懸命な判断だろうというのが俺の直感。この人たちとはもうあまり関わり合いになりたくない。親父には本当に辟易する、これまで無意識的に親父始め家族のことを1人の人間として観察することは避けていたが(正直に自分のもつ最大の問題がここに詰まっていて、子供時代の俺はこの問題に直接的に取り組んで自分が生きていけるきがしなかったのだろう)この引きこもり期間を経てようやく段々と家族を“自分の家族”というあまりにも血生臭く、がんじがらめになった存在を客観的に冷静な視線で見つめることを許された。自分の家族のうち、自分以外の4人について、観察すればするほど。俺が付き合ってきた人間の中でこれほど俺に悪影響を及ぼした人間はいないと思えるようになってきた。俺が付き合ったきた人間の中で明らかに最も人間として未熟でその未熟さを認識できていない、もしくは認識することを拒んでいる人種の人間だった。少なくとも親父とお袋については(とりわけ親父に関して顕著だが)、何がそうさせたのかは定かではないが、現実的な幸福やなにか欲望の対象があるわけではなく、自分の精神の平穏・興奮しか感覚されていないようだ。親父は自分がかつて感じていた少年期の興奮を、お袋はあまりに自分の手に負えない現実に面した時に兎に角自分の心の安心を、2人とも最も現実に向き合うべき状況の時に現実と向き合うことを拒絶してきてしまった。親父に関しては昔からそうでなかった時代の片鱗すら感じられないが、お袋はどうも自分の家庭環境や歩んできた道のりが徐々にお袋の中のそうして傾向を大きくしてしまったようだ。俺が引きこもりになったとき、俺が精神的に失調になった時、最も助けて欲しかった両親は、最も助言を求めたかった2人の人は、俺の精神の失調の原因になる習慣を俺に与えた張本人だった。親父の言葉はただの一度を除いて常に空虚で、完全に教科書を丸暗記して俺に向かって暗唱したか、単に目に入ったことを口にしただけだった。その一度は、ピャ時が唯一出来ること、仕事を愚直にこなすことの真髄についてだった。それについて俺は親父を責めることない。人間自分の出来ることしかできない、それ以上のことなんて本心からは一度だって求めたことはない。母さんは何時も俺をあまりに献身的に支えてくれた。精神科やカウンセリング受けに行き、様々な本を読み、俺と関係の築き方に悩んだ挙句、俺にまで相談してくることも少なくなかった。母さんはなぜかいつも俺の望んでいることを叶えようとして苦悩していた。俺は母さんに何も望んでいなかった。母さんは今でも俺が自分の欲望を口にしないのは自分を抑制しているからで、自分の責任でそれを解放できると勘違いしていたが、俺は当時そもそも欲望そのものがうまく抱けなくなっていたし、もし欲望が彼女に解決できそうならきっと、その欲望を自発的に伝えていただろう。最大の問題は自分の内的な秩序の失調だったし、それの解決は結局は自分一人で向き合うほかないコトも、彼女の考えるような精神的な支援でなく、現実的な方法でその作用を助長するような援助の仕方した、他人のできることはないということにも俺は気がついていた。兎に角、俺はなんとか自分の秩序を取り戻しつつある。年齢的なことか、精神状態が万全でないことか、原因はわからないが、今までの自分とは似ても似つかなほど精神の働きが鈍っているせいで、回復の速度は想定していたよりもずっとずっと遅いが、着実に回復に向かっている。おそらく精神の状態について、すなわち内向きのベクトルをもった話題の占める割合はこれから段々と減って行くと思う。外向きな健常な精神の働きの萌芽を自分の中に抱き始めている。すぐに、とは言わないが、俺も現実世界に戻ることができそうで心からのワクワクを感じている。
2018/11/19 推敲なし/書き捨て
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ひぃちゃんよ
ひぃちゃんよ、お主はおそらくテレビ局、それもTBSに入ったのだろう
わしの今の見立てはそうだ、アナウンサーに憧れて、赤坂で入社式をやっていたのだ
お主は自分に軸が無いと宣ったな、それは勘違いだ、人間の軸、それは始めから人間に存在するものじゃない、軸とゆうのはガンとさして本体をこていして、くるくる回るようにするためのものだ、人間の場合、それは出来方が違う、軸というのは本体にぶっさすか、本体を後付けする、つまり、本体と軸は元来完全に別のものなのだ、人の人格に於いて本体と独立したまのなんかあるだろうか?、
かしこい君だからとっくに気がついて、鬱陶しいと思ってるだろーが、一応いうとそんなもんは無い、人間の軸、とかいうのは、個人の好みの集積でしかない、好み、すなわち、連続したジェスチャーの共通性、それがさらにマクロに積み重なり、うすいトレーシングペーパーを重ねるようにだんだんとみえてくるものなのだ、そして完成されたそれをみて、われわればかな人達は軸だと思ったのだ、
だけど、それは単なる線画の重なりでしかない、そうして人間の軸というのは出来ている、お主が気がつくべきなのは、みづからが噛み殺している一枚一枚のトレーシングペーパーなのだ、時間は戻らない、それは大変な作業だろうが、お主は聡明で、かつ、繊細。ある程度は。そう、だから出来ると思う、問題はその気が付き方、わたしはお主の覚醒が破綻を持っておとづれないことを願う、あなたはうつくしい、必ず今よりもっと美しくなり、老いていったときそれは尚一層静かな深い明るさをもって、ひとびとを魅了するでしょう、その時、もしぼくのことを思い出すことがあれば、ぼくは幸せだ、それ以上のことはない、空虚に自分をせせらわらう君の声がこだまする、いつかそれが、虚ろな響きではなく、幸福と知性を裏に持つ、鈴音として響く日が来るように
2018/10/08
復活
俺は確実に復活してる
感覚的に
異常に狭い視野と
歪んだ認識を持って
吸収率の悪い頭と
鈍い注意力を持って
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要するに俺が10年間かけてやってきたのは、壮大な現実逃避だった
“現実逃避したい”、“全部投げ出したい”、“学校サボりたい”、みんななんでそうおもうのにやらないのか、そう思って全力で現実から逃げた俺だった
そこで得たものは?
孤立と言葉だけだ
生きるだけで少しずつ積み重なる、オブラートみたいな信頼を垢だらけの手で薙ぎ払って何かを成し遂げた顔をした、得たものは孤立と空を掴む言葉だけだ
凡ゆる感情は意味を失い、これまでの人生はただの記憶、フラッシュと言葉のシークエンスに成り果てた
とりまく世界は頭の中の世界の影絵になって豊かさも輝きも、醜さも等しく消えた、あるのはあまりにも不安定な内面的なゆらぎのみ、全てのゆらぎは次のゆらぎのためにのみ存在し、閉じられた池の中で反射する、反射したゆらぎは次のゆらぎを打ち消し、ゆらぎを観察する機能だけしか持たなくなった自我は外から投擲される石を待つことしかできない、分厚い磨りガラスの向こうにゆらめく影が、輪郭を失った空気の振動が、淀んだ水面を小さな波になって渡る、大きく汚れることも無い池が、閉ざされている限り少しずつ白く淀んで視界の悪くなることを運命つけられた、池の中で、終わることも、流れることも、流されることもゆるされないその池の中で、俺は漸く手をかける、自らの無能さも、思うように動かない手足も、独りでに動く世界も、俺は全部受け止めなければならない
一度背を向けた世界が、もう一度ただいまの声を受け入れてくれるかどうかしらん、ただ俺はここにいるしかなく、背を向けて目をつむっても、"かわらずにここにいた"。
無能さを悔いた俺は、無能さを恥じた俺は、何一つ、何一つ成長することを拒んだ、生きられると思ったその世界は、いかにも現実に替わりうる代物に見えた、
そこで俺は常に自己効力感を感じ、何事もバーチャリティを感じられた
そう、それは字義通りの"virtual-world"
現実とは全く異なるでぃめん