引きこもり大学生、ブログを始める

 

人付き合いの仕方を完全に忘れてしまった

 

引きこもりというのは、披露した精神の回復という観点から見ればいいもんですが、いざ本人が社会に戻ろうとするとこれがどっこい超大変

そりゃ2日も友達と会わなきゃ話し方や接し方がなんとなくぎこちなくなったりするのに、僕の場合は1年間も引きこもっていたので阿呆らしいくらい当然です

 

そういうことでこの秋から大学復学を画策しているのですが、ここで問題になって来るのが外山滋比古も『思考の整理学』の中で語っていた気がします、”アウトプットすることで自分の思ってることがどんどんせりされるみょん〜〜”という原理。厚生労働省の定めるところによると引きこもりというのは、”半年以上、仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流がほとんど状態”なんだそうです(wikipediaにはこんな風に書いてあったような)。日常なんとなくやってたアウトプット作業(こんな捉え方するのは引き籠りか好事家くらいだと思いますが、会話始め人間と関わること全てもアウトプットと捉えてます)が極端にゼロに近づくわけで、これはもう自分が何を考えているのかも定かではない状態ですね。机にかじりついてる学者が小難しい言葉を話したり、スポーツインストラクターがやたら元気だったり、人間自分のやってることに人格が影響されるなんて意外と当たり前のことですが、すると引きこもり(ようするに何もやってないわけで)はもう自分が何考えてること、やってることのまとまりが全くつかなくなるわけです。これはとんでもなくオソロシイ。ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公がまさにそんな感じでしたが、作者の意図を完全に無視して言えば、あの犯罪はほとんど貧乏と引きこもりのせいです(めちゃくちゃすぎてドストエフスキーには怒られるでしょうが)。引きこもりが一番ひどかった時は自分もラスコーリニコフに近い、思考に足を取られて朦朧とした状態でした。わしの場合は周りの助けも借りてなんとか復活している途中なのですが、最近は人並みに人混みで気持ち悪くなったり、食ったものを吐いたりしています。

話がちょっとずれましたが、要するに引きこもりから回復する自分のためにこうしてブログを始めました。夏休みは異常に時間があるのでなんとかたくさん文章を書きたいですが、行かんせん完全に自分のためのブログなのでどうなるかはわかりません。

内容としては、読んだ本の内容とか、これからの計画の話とか、引きこもり時代に考えていたことなど、日記や備忘録のように書いていこうと思っています。

今回は短いエントリですが、そのうちもっと長い文章も書いてみたいもんですの。

 

それでは、今日は初めましての挨拶ということでこれにて失礼。

やたら青い空には雲一つなく、メキメキと自然が息巻く夏もすぐそこに迫ったクライマックスに向けて小休止でしょうか。不肖引きこもり落ちこぼれ大学生、何卒よろしくでございます。